もっとも最悪で最上の日│茶っぱ(Pekoe)

「芳樹さん、お誕生日おめでとう」
 仕事から帰宅して、満面の笑みを浮かべて玄関に立つのは、結婚して間もない愛しい妻の姿だった。その姿に、真島はひどく既視感を覚える。肩の上で短く切り揃えた現在の髪型ではなく、長い髪を振り乱して駆け寄ってくる幼い姫の姿が、ついさっきの出来事のように今なお鮮やかに己の脳裏に蘇るのだ。
明るい日差しの中、今にも胸に飛び込んで来そうな眩しい姿に真島は目を細めた。



「真島、お誕生日おめでとう」
 いつの間に女学校から帰宅したのか、恐らく屋敷にも上がらぬまま百合子は庭へ駆け込んできた。水やりをしたすぐ後だったから、植物たちの水滴がきらきらと日の光を照り返し、ひどく眩しい。しかしそう感じたのは、この場に現れた彼女の所為かもしれなかった。
真島は百合子の言葉の意味を理解するのに数秒を要し、ようやく呑み込んだところでああ、と小さく頷く。
「…そうでしたね、すっかり忘れていました。ありがとうございます、姫様」
 にこりと、庭師用の笑顔を向けて。
 それにつられるように百合子はうっすらと頬を赤く染めると、花が綻ぶように可愛らしい笑みを浮かべる。上辺だけの自分のものとは違い、それは本当に美しいと真島は素直に思った。
「よく、覚えていてくださいましたね」
「当然よ。私が教えてってお願いしたんだもの」
 ――あれはお願いなんて生易しいものではなく、寧ろ脅しに近かった。
 そう喉元まで出かかったが、真島は苦笑するだけに留めた。
 元々己の誕生日など、忌むべき日であって祝うことなど考えもしない日だっただけに、真島は誰にも誕生日を明かすことはしていなかった。女中などに数度か訊かれても、のらりくらりとかわしていたのだ。
けれど根気よく何度も訊ねてくる百合子にはついに折れてしまって、諦めたようにその日がいつだということを口にしてしまったことがあった。どうしても百合子に対してだけ甘くなってしまうのは否めない。
そうして彼女は律儀にも、その一度だけの真島の言葉を覚えていたようだった。恐らく屋敷内で真島の誕生日を知っているのは、この百合子だけだろう。
「それでね、あの、これ……」
「俺に、ですか?」
 いつもはきはきとした百合子らしくなく、言葉を濁しながら俯いて差し出してきたのは、少女らしい花柄の包装紙にくるまれているものだった。誕生日の贈り物というやつだろう。華族のご令嬢が使用人に贈り物だなんて、聞いたことがない。百合子は少し変わっており、気位だけ高い他の身分の高い者とは明らかに異質な存在だった。周りには窘める者も多かったが、真島から見ればそういう所も好ましかった。
「もちろん。だから、貰ってちょうだい」
「嬉しいなあ、ありがとうございます。開けてもいいですか?」
「え、ええ。でも、期待はしないでね」







to be continued...