長き夜の果て│彩(m-works.)

 書類仕事を終え、疲れた目元を指先で強く揉んだ真島は、何気なく壁際に視線を向けた。暦に記された日付を知覚した途端、思わず小さな溜息が漏れる。
 明日――つまり六月二十五日は、己の呪われた生が始まった忌むべき日だ。
 例年この日は、普段以上にぎっちりと仕事を詰め込み、物思いに耽る暇など無いくらい時間に追われて過ごすようにしていた。だが今年は違う。百合子の懇願を受け入れて、午前中だけは休みを取る約束をさせられていた。
 本当は丸々一日休ませたいようだったが、夜には真島の――闇の阿片王の生誕祝賀という名目で夜会が開かれるのだ。これを放棄するわけにはいかない。
 祝賀といっても純粋に寿ぎに来る者など居ないに等しい。祝いは口実。人脈作りや密談などが目当てであり、真島自身はそれに納得しているのだが、真っ向から否を唱えたのが百合子だった。
「ちゃんとお祝いしましょう!」
 そう宣言するなり、働き過ぎを心配する部下たちを味方につけ、呆れるほどの早さで予定を調整してしまったのだ。
 どんな仕事も極力自分自身で行うようにしている真島だが、スケジュール管理だけは秘書たちに任せていた。先に外堀を埋められては、流石に真島も回避しようが無い。
「少し遅めの朝食を共に、と言われていたな」
 可愛らしい手書きの招待状が届いたのは昨日のことだ。先日着ていた黒地に銀糸の刺繍が入った服が似合うと思うわ――などと、遠まわしに衣装の指定まで寄越されてしまえば、もはや素直に従うしかない。
 とはいえ、気鬱が残るのも事実。
(何かで発散するか)
 しかし間もなく日付が変わろうという夜更けに何ができるのかと考えても、選択の余地は限りなく少ない。
(身体でも少し動かすか。それとも――)
 女でも、と考えた真島は黙って頭を振った。
 一番手っ取り早く気を紛らわす手段ではあるが、明日の朝から百合子に会うと分かっていて、女を閨に引きこむのは体裁が悪い。ただでさえ憂鬱になると分かっている日くらい、百合子の顔を曇らせることなく、彼女の笑みを堪能するべきだろう。
「……護身術の鍛錬でもしておくか」
 身を守る術として、必要最低限の腕前は必要だ。大口径の銃でもぶちかませば多少の気晴らしになるだろうと考え、真島は廊下にいる部下に行き先を伝えるべく、入口の扉に歩み寄った。
 執務室と廊下の間には、来客を待たせるための小部屋がある。こんな真夜中に誰か居るはず無かろうと無造作に扉を開き――ぎくりと動きを止めた。
 壁に沿って置かれた椅子に小柄な影があった。扉の開いた音に弾かれたように立ち上がり、慌てて床へ膝をついた顔に見覚えはなかった。
「誰だ?」
 低い声で誰何する。最初は日本語で問い、続けて支那語で繰り返すと、後半の語に女が反応を示した。







to be continued...